【山崎流子育て:その2】
山崎流子育て:強いメンタルを持たせる
僕が子育ての基本に置いてるのは、
「困難を乗り越えられる、強いメンタルを持てること」かな。
つまり、ほとんどの親が子供に失敗して欲しくないし、
危険な目にあって欲しくないよね。
つまり勉強しておかないといいところに就職できないとか、
ネガティブな思いで右往左往するよね。
だけど、人生というのは様々な困難が絶対にやってくる。
勉強ができても、スポーツができへんとか。
スポーツができても、友達にモテないとか。
自分が悪くないのに、冤罪で、友達からあいつがやったって言われたとか。
いろんな困難があるわけだよね。
じゃあ、それを親が回避させることは無理だよね?
親は学校に一緒に行くわけじゃないから。
だからそうなった時に、どうやってその困難を乗り越えられるのか?
って考える。
それは強い精神力とか自分のメンタリティが必要なんだよね。
だから、家で愛してあげるっていう感じだよ。
山崎流子育て:子供にとって「安心・安全な場を作る」
自分には帰る場所がある。
自分のことを愛してくれている人がいるのといないのとでは、
全然、生き方が変わるから。
子供は許されるからチャレンジできるし、
失敗してもまた受け入れてもらえるからまたチャレンジできるんだよね。
どんなに苦しいことがあっても、
「お父さんが守ってくれるんだ」
って思っているから、外で耐えられる。
実際、自殺してしまう子供って、親に言えないって子が多いよね。
親に心配をかけたくないとか。
もし親に言える環境があったりとか、
そうやっていきなり自殺にならないように、
普段から話す環境を作っておけば、未然に防ぐことはできると思う。
仮にいじめにあったりしても、
お父さんが心を開いていれば何でも話してくれるよね。
だから、あまり父親、父親っていうようにするよりは、
「安心・安全な場を作る」ってことを心がけているかな。
山崎流子育て:「愛」は受け入れるための親の姿勢
「愛」の表現が「受け止める・受け入れる」ってこと。
そして、言葉でもいうよ。「愛してるよ」って。
どんな愛の形が子供が一番嬉しいのかって言われると、
日常になると当たり前になるから、嬉しさは半減して行くよね。
「愛」は喜んでもらうためにやっているわけじゃなくて、
「愛される」のが日常になるようにしていってるといったほうがいいかな。
喜んでもらおうってことにしてしまうと、
例えば、普段、叱り飛ばしていたお父さんが、
いきなり優しくしたら喜んでくれるよね。
でもお父さんが毎日優しかったら、普通だよね。
「愛する」っていうのは子供に喜んでもらうためにやってるわけじゃなくて、
「受け入れる」ためにやっていることだから、
親の姿勢の問題だよね。
親もそういうスタンスでいられたら、子供が安心・安全でいられる。
山崎流子育て:子供は親の写し鏡!
「反抗期」っていうのは、
「親の生き方に対しての反抗なんだ」
って本でも読んだことがある。
だから愛されて、許されて、保護されて育った子供は反抗しないって。
実際、反抗期はある人とない人がいる。
僕はこの話に納得したから、僕は常に子供の態度を見てる。
子供の反応は常に自分のせいだと思うようにしてるかな。
例えば、長男が次男に「ああせえ、こうせえ」とか言ったりとか、
あるいは友達に対して優しくなかったりとか、
そんなことあるよね?
そんな時に、
「何でお前、友達におもちゃを貸してやらんのだ?」
って言う気持ちになる時あるでしょ?
その時に僕がどう思うかって言うと、
「僕の何がいかんかったのかな?」
って思うようにする。
お父さんがもっと友達にものを貸してあげて
喜んでもらっている姿を見せてあげたりとかすれば、
子供もケチケチせずにものを貸してあげようとかするかなって。
つまり、子供は「自分の写し鏡だ」って思うようにしてるかな。
だから、子供に「お父さん、何が悪かったんだ?」って聞いたりもする。
「何か不満があるか?」とか
「お父さんのせいでそうなっとるのか?」とか聞いたり。
いつも意識して「友達に振る舞う」とか「仲良くする」とか言う姿を
見せるようにしてる。
子供は見たように育つし、聞いたように育つのが人間。
だから、意識して見せるようにしている。
子供はいつでも大人のやることをすごい見ているよ。
山崎流子育て:勉強とは?
もし、勉強をしないって言うんだったら、
勉強は楽しくないって言う思考があるわけだから、
楽しんで勉強すればいいだけ。
逆に言ったら、
「勉強の定義って何なの?」
ってことになる。
僕の場合は勉強っていうのは、
やりたいことが見つかって、それを調べるのは勉強って言わんよね?
リフティング1000回やりたいと思って
Youtubeで調べるのも勉強とは言わないけど、勉強だよね。
僕は勉強っていうのは机の前に座って、
言われたことをやるのが勉強ではなくて、
やりたいことが見つかって、
それを自ら自分で調べるってことが勉強だと思ってる。
だから「勉強せえ」っていうよりも、
子供の興味はどこにあるのかな?とか、
何にやる気が沸くのかなっていうのを見てる感じかな。