子どもに「それはダメ!」と言ったその時に思い出してほしいこと
前回のブログの続きです〜
自分たちの親世代の価値観を
「受け入れる」けれど「従わない」というのはすごくわかりました。
僕たちが、子どもたちに接する時も気をつけなきゃいけないですよね?
そうだよね。
子どもへの自分の価値観の押しつけも本当に怖いことだよ。
スマホはダメだとかさ。
耳が痛い(汗)
スマホはダメだって言うけど、
スマホがないと考えられない時代になっていたりするわけだし。
おもちゃだった、ラジコンがドローンになって、操縦士とか仕事になってきてるわけだから、
自分で考えてるようなことはダメだよね。
がーん
昔は良かったけど、
今はダメなことって多くない?
例えば?
体罰だってそうだしさ、
昔は練習中に水飲むなとかとか言われたけど、今は飲まなきゃダメだよね?
10年前の常識は今の非常識だし、
今の常識は、未来の非常識なわけだよね。
”なぜダメなのか”俯瞰してみる
僕だって、子育てのことで迷うことは沢山あるよ。
例えば、子どもがゲームをずっとやってると
感情的には「そんなにゲームばかりやってて良いのか」と俺だって思うよ。
でもその時に
「なぜダメなのか」を自分に問いかけるように、俯瞰して考えるようにしている。
それを、明確な理論として答えられるかどうかだよね。
自分が言おうとしてることに、
反論処理を常に考えるようにしてるよ。
明確な答えがないのに、自分の価値観を押し付けようとしてないか、
常に意識するようにしてるよね。
1日中、反省だらけだな…
「ご飯を残すな」って言った時に、
なんでかなーとか。
俺は、男だからって
好き嫌いするなと
嫌いなものも無理矢理食べさせられて、厳しく育ったんだけど、
あんなに嫌いだったものも、
今は美味しく感じるし、味覚って変わるよね?
だから今、僕は「好きなものだけ食べな」と子どもに言ってる。
どうせ、味覚は変わるから。
妹は女だからって、甘やかされて育ったんだけど、
毎日ウィンナーを自分で焼いて、ウィンナーとご飯ばっかり食べてたけど、
妹の方が背が伸びちゃったりして、
妹の方が立派に育ってるじゃんみたいな(笑)
僕は何でも食べさせられたのに何で?って感じだよね?
親も、何が正しいのかよくわからないですもんね(笑)
”なぜダメなのか”は常に意識してるかな。
人生は解釈である
ひとつ言えることは
いろんなことやった方が良いと思うかな。
経験が繋がってオンリーワンになっていくから。
ゲームをやったことないよりは、やったことあった方が良いし、
いろんなことをやってみた経験が、
後々いきてくるからね。
そっかー、これはダメって言わずに何でもやらせる方が良いのか。
それと、肯定するように意識してるかな。
”何でもやらせてもらったから、いろんなことにチャレンジできるようになった”という人もいれば、
”何にもやれなかったら、今いろんなことがチャレンジできる”という人もいる
ふむふむ
人生って解釈じゃない?
解釈かーー
肯定的な解釈ができれば、人生って幸せじゃない?
例えば、家の屋根が吹き飛んで、雨漏りしてきたという大変な時に
だから、備えしとけば良かったじゃない?
みたいな解釈をする子どもになるよりは、
命が助かってよかったねみたいな解釈ができる方が良いよね?
心が貧乏だと、何したって貧乏だよね?
だから子どもには肯定的な解釈ができるようになったら良いなと思ってる。
かといって、
子どもの人生と自分の人生は分離してるから、子どもの人生としか見てないかな。
その分離して考えることが、多くの親が難しく感じてることなのかも。
自分に置き換えるとわからない?
自分そんなに勉強したんんかって感じだし、
今の自分があるのだって、沢山の失敗があったからだし、
だから自分の子どももこれから沢山の失敗をしていかないといけないよね。
それを何とかしようなんて無理だよね。
そうだよね、子どもも失敗から学んでいくんだもんね。
幸せって人に幸せにしてもらうものじゃなくて、
自分でなるものだからね。
今日も幸せです♪
いいねぇ〜
まとめ
☑️今の常識は10年後の非常識
☑️”なぜダメなのか”いつも俯瞰して考える
☑️人生は解釈、子どもには肯定的な解釈ができるように育ってほしい
☑️幸せは誰かにしてもらうものでなく、自分でなるもの