<続>宿題をやりなさい!とは言わない理由
そんな風に思ってたんだ!(意外w)
逆に僕は帰って真っ先に宿題を終わらせるタチだったんだよね。
へー!意外ですね。それでも子どもがすぐやらないことは気にならないんですね?
そんな風に思えてすごい!
まわりについていけなくなることが怖くなってたのかもしれません。
自分の価値観を俯瞰して見る
僕がいつも大事にしているのは
自分の意見や価値観を常に俯瞰して見るということ。
「本当にそうなのかな?」っていつも意識しているよ。
なぜなら、親と子は育っている時代が違う。
親子で30年違ったら、祖父母と孫なら60年くらい違うわけで
その時代の価値観を押し付けるほど恐ろしいことはないと思っているよ。
世の中の背景もツールも全然違うわけだからね。
自分の考えを俯瞰して見ないと恐ろしい教育をしているかもしれないよね。
なるほどー確かに!30年前の常識のまま育てたら子どもが可哀想ですよね。
現代には不要な価値観もたくさんあったりするのか…。
僕の知り合いにいろんなことしている人がいるから、興味のあるところに行かせたり
なるほどー
もっというと、子どもがどうにかなったら、自分が面倒みるって決めてるだけだよ。
子ども自身をみる
長男を出産するときにね、逆子が治らなくてね。
奥さんは障害を持っていたらどうしようとか
五体満足じゃなかったらどうしようとか色々不安を膨らませていることがあったんだよね。
そのとき僕は「いいよ」と言ったんだけど
何が「いいよ」なのかというとね
例えば、生まれつき障害があるのか
小学校になって事故で障害を持つのか
それはいつでもあり得ることで、そうなったからって見捨てないわけじゃん?
自分の子どもなわけだからね。
つまり、どんなことがあっても面倒みると決めているだけなんだよね。
それ、本当にそうですね。
例えば子どもが両目見えなくて、「学校に行きたくない」と言ったら無理やり行かせないと思うんだ。
それは”その子自身”を見ているからだよね。
多くの親は”その子自身”じゃなくて、世間や自分の価値観を見ている気がするよ。
気をつけないと…
つい、そうなりがちですよね。
親や兄弟も一緒。何かあれば自分がどうにかすると決めてある。
だから不安もないよ。
先に決めているから、不安じゃなくなるんですね。
自分のできることは子どもに教えられるから
自分のできることを増やしていけばいいんじゃない?
そうか…
それに、自分の信用できる人が出来ることも
出来ることのひとつだよ。
というと?
僕はいつも”学ぶより繋がろう”って言ってるんだよね。
そういうつながりを増やしていけば、もし子どもが不登校になっても
いろんな選択肢を与えられるよね。ひとつやってみてダメだったら
他のことやってみれば良い。そうやって自分の好きなことを見つけていけば良いからね。
”この子は何が得意で、何に興味があるのか”ということしか見ていないよ。
たまたま学校にちゃんと行っているけど、行かなくなっても全く問題ないと思っているよ。
なかなか言えないそのセリフ…。
でも対策がわかったら、漠然とした不安がなくなった気がします!
ウンウン。何かをやることを強要するより、
”どうやったら興味をもつのか”と問題を自分に返した方が早いよ。
なるほど、、次回そのあたりをもっと詳しく聞かせてください。
おっけー!